「不条理というトンネルの先へ」棕梠の主日礼
ルカによる福音書 22章39-53節

今日の聖書箇所は、過越祭の期間中の出来事である。イエス様は祈るためにオリーブ山に行かれた。そこでイエス様は弟子たちにも祈ることを勧めた。
40節で「誘惑に陥らないように祈りなさい」とイエス様は言われている。「誘惑」とは何か?弟子たちはこの時、眠ってしまって祈ることができなかった。ここで言われている「誘惑」とは、イエス様の言葉に従うことができず、祈ることができない状態に陥ると言うことである。
今日の箇所の直前にペトロがイエス様を裏切る場面がある。それはイエス様と無関係になることを意味する。時に、私たちはイエス様と無関係に生きる「誘惑」に陥ることもある。
聖書では、イエス様と無関係に生きる「誘惑」はエスカレートし、弟子の一人であるユダがイエス様を裏切る様子も描かれている。人の心の「闇」がイエス様を十字架に追いやる。
「闇」とは、祭司長、神殿守衛長、長老たちの姿が示しているように、自分の信仰、自分の考え、自分の行動こそが正しいとする独善であり、相手を認め、受け入れようとする愛が無い状態である。
そのような「闇」の中で、イエス様は独り、祈られた。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と、ペトロのため、弟子たちのため、私たちのために祈ってくださった。そして、オリーブ山で独り、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と祈られた。
それがたとえ自分にとって受け入れ難い杯であっても、いつかそれが希望や慰めに繋がることを願って祈るのである。
私たちは、信仰があるからこそ、互いに愛し、助け合い、明日を信じて生きていけるのである。たとえ闇の中に置かれようとも、祈ることで私たちには希望の光が、進むべき道が示される。
どのような苦難に遭おうとも、闇の中に置かれようとも、祈ることを続けていきましょう。
牧師 三浦 啓


